WEB町長室

どこまで人を許せるか

2023年9月11日

 昨今、まるで小説に登場するような猟奇殺人が大きなニュースとしてマスコミを賑わしました。

 また、誰でもいいから人を殺したいという動機で殺人を犯す人間も出てきており、人の命を軽んじる風潮に憤りを感じております。

 私が被害者の身内であったらと思うと尚更でありますが、万が一、身内が被害者になったとしたらどこまで加害者を許せるものでしょうか。

 次の逸話は、どこまで人を許せるかということを考えさせられます。

 長男が白血病のために小学二年生で亡くなりましたので、四人兄弟姉妹の末っ子の二男が三年生になった時、私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです。

 ところが、その二男もその年の夏にプールの時間に亡くなってしまった。
 長男が亡くなって八年後の同じ七月でした。

 近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。
 子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。
 「どうしたんや」と聞いたら十分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれました。

 母親は馬鹿ですね。
 「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」という怒りが込み上げてくるんです。

 新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら駆けつけてきました。

 そして、私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。
 「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。

 わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら二人が我慢しようや。
 うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」

 私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。
 だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。それで許したんです。友達も学校も・・・・・・。

 こんな時、男性は強いと思いましたね。
 でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。
 争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる・・・・・・。

 許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の七月二日に墓前に花がない年が一年もないんです。
 三十年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。

 もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった。
 そういう人が生活する町にはできなかった。
 心からそう思います。