土壇場で見えてくる本性
2025年9月17日
小学生の頃の出来事だと記憶しています。同じ町内の年下の小学生何人かと浜辺の砂場で遊んでいました。
遊んでいる途中ふと渚を見ると、波打ち際に大きな魚が一匹ばたばた飛び跳ねておりました。
私はとっさに、魚を捕るために波打ち際に走りましたが、一緒に遊んでいた一人も併走していました。
ところが私は、私より先に行かせないために無意識ながら彼の腕をつかんで走っていました。
サッカーなら、イエローカードを出される行為です。
最終的に、その魚は誰が捕ったかは記憶にありませんが、私のとった行為は、無意識でありながらも、自分が魚を捕るために仲間の手をつかんで私より先に行くのを阻止しようとした卑怯な行為であります。
そのため、今でも思い出したくない記憶の一つであります。
孟子は「どんな悪人でも小さな子どもが井戸に落ちそうになると、無意識で救おうとする」と言い、それを“惻隠の情”と表現しておりますが、私のとった行為は真逆でありました。
人間、土壇場になると本心が出てくるものでありますが、普段、立派なことを言っていたはずの人がお金が絡むようなことになると、言っていることと真逆の側面を垣間見ることがあります。