WEB町長室

決断の厳しさと苦しさ

2014年9月11日

9月は、各町内の夏祭りが続いておりますが、ある町内会のお祭りでのことです。

その町内会は、山車が古くなったことから数年前に相当数のお金をかけて人形なども新しくして、今年の山車巡行を期待しておりました。

ところが、お祭り当日、近隣町では大雨の被害が出て、本町にも朝から大雨警報が発令されました。
空を見上げると青空であり、どこから雨が降ってくるのかと思われるようでしたが、それでも大雨警報が発令されている以上、必ず降ってくるものと予想しておりました。

そのような予想から、町内会では、朝のうちから山車の巡行中止を決定したそうです。

しかしながら、あにはからんや、その日は結果的に一滴の雨も降りませんでした。
一番盛り上がる時間帯の午後8時頃は、満天の星空でありました。

その頃、子どもたちのいる家庭では、なぜ中止してしまったのかというブーイングの嵐だったそうです。
そしてきっとや、その声を肌で感じながら、中止の決定を出さざるを得なかった人たちは、逆に雨が降ってくれることを待ち望んでいたのではないでしょうか。

それにしても、決断というものは難しいものです。

広島市で、70人以上の犠牲者が出た土砂災害。
テレビのコメンテーターは、「大雨注意報の段階で避難勧告を出すべきだった」。
また「たとえ真夜中であっても避難勧告、避難指示を出すべきだった」と、後出しジャンケンのような発言をしていますが、責任がないということは気軽なもんだとつくづく感じます。

注意報の時点で避難勧告を出して何もなかったとしたら、とんでもない非難の声に晒されます。

真夜中に避難指示を出して、避難の途中に事故に遭ったとしたら、第三次災害と称してこれまた非難されます。
今回の大災害、万が一私が広島市長だとしても、適切な判断を下せたかどうか自信ありません。

それだけ、災害時の決断は重責を伴います。