WEB町長室

私は客観的に見ている?

2022年10月28日

 職業上、常に決断の連続であります。


 私とすれば、そのつど最善の決断をしていると思いたいわけでありますが、後日、冷静に判断すると間違った決断だったと後悔することもあります。


 真剣に考えて決断しなかったわけではありませんが、決断の判断基準が「決断する側」か「される側」かで全く違う決断になってしまうからであります。


 私たちが、テレビのドキュメンタリー番組で、ライオンがシマウマを襲う場面を見ていたとします。


 大方の人は、「シマウマよ、もっと速く走ってライオンから逃げろ」と思うことでしょう。


 ところが、追いかけているライオンは子育て中であり、ドキュメンタリー前編で、餌を食べることができないために子どもは声を出すこともできないくらい衰弱し、このままだと、あと数日で餓死してしまうと推測される姿が画面いっぱいに映し出されたとします。


 そうすると今度は、逆にライオン側に感情移入し、「母ライオンよ、もっと速く走ってシマウマを捕まえ、子どもライオンを助けろ」と思うことになります。


 簡単に言うと、どちらに感情移入したかによって見方が180度違って見えてくるのです。


 私とすれば、常に客観的な決断をしていると思いたいわけでありますが、いつしか、主観が入ってしまっていることも自覚しなければなりません。