WEB町長室

レストランでの一期一会

2023年10月11日

 数年前の師走、長男から電話がありました。
 内容は、自分が困っているときに親身になってくれた30代の友人が悪性の病気を宣告されたということです。
 その友人には、幼い子どもが二人いるそうですが、急遽、家族で函館方面へ旅行に行く予定を立てたそうです。
 ついては、上ノ国町の道の駅“もんじゅ”のレストランで食事をしたいということなので、レストランの社長である私に何とかしてくれないかと言うことです。

 食事を希望する日は、12月29日頃であったと記憶しております。

 普通であればすぐにオーケーでありますが、友人が希望した日は、予約を受けたおせち料理を作る準備のために、レストランを閉める予定なので無理だと思いました。

 しかし、病気を宣告され、急遽、旅行を思い立ったということは、相当な思いを持っての旅行なのだろうと自分なりに解釈し、ダメ元で料理人に電話したところ何とかするということとなり、友人一家にレストランで食事をしてもらうことができました。

 年が明けて、長男から連絡が入りました。

 レストランで食事をした友人は、提供した料理もスタッフの応対にも満足し、大変喜んでいるということであり、私も安心しました。
 なぜかと言いますと、例年、おせち料理を作るには時間との闘いであり、スタッフ全員が時間を惜しんで準備をしている殺伐とした現場を何回も見ているので、時間を割いて対応したとしても、満足いただけるもてなしができるのだろうかと一抹の不安がありました。

 数日後、レストラン職員の新年会に出席いたしました。

 場も盛り上がって、いよいよ閉会というときに、最後の挨拶を求められたので、私は次のような趣旨の挨拶をいたしました。

 「みなさん、昨年の暮れ、レストランを閉めているなかで、長男の友人一家をおもてなしをしてくれてありがとう。後日、料理も美味しかったし、スタッフのもてなしにも相当満足したという友人の感想が長男からありました」と言い、私の思いも付け加えました。

 「最初、長男から電話を受けたときは、一年で一番忙しいときの応対は相手に満足してもらえないだろうと考え、断ろうと思いました。
 しかし、子どもを抱えたあのお父さんは悪性の病気を宣告されたそうです。
 当然ながら、30代で宣告を受けた本人も奥さんも相当ショックであったろうと拝察します。
 死という文字が脳裏を横切ったかもしれません。

 北海道に住んでいる私たちは、雪道のなかでの一番不便な旅行は避けます。
 それを、敢えて雪道のなかで旅行するということは、家族との思い出を作りたいという強い思いもあったんだろうと推測できましたので、みなさんに無理なお願いをしてレストランを開けていただきました。

 私は、みなさんにその意図は告げておりませんでした。
 それでもみなさんは、通常通り、100%のおもてなしをしてくれました。

 みなさんにすると、あの一家は、年間利用する何万分の一のお客さんかもしれませんが、友人一家にすると、一生涯のうちの大切な一日となりました。
 お茶の世界では、これを「一期一会」といいます。
 生涯、何万回お茶を点てようと、今点てているお茶は、一生涯で一度きりのお茶を点ててるという心境が大切だということだそうです。
 みなさん、あの一家の期待に応えて、心あるおもてなしをしてくれてありがとうございます」

 そう言いながら私は、コピーライター“ひすいこうたろう”の「あなたがくだらないと思っている今日は、昨日亡くなった人が、何とかして生きたかった。何としてでも生きたかった、今日なんです」という言葉と、友人一家がレストランで会話をしながら楽しそうに食事をしている姿が脳裏をよぎり、いつしか涙声になっておりました。

 そして見ると、私の話を聴いているスタッフの眼にも涙が浮かび、蛍光灯の光りでかすかに輝いて見えました。