主と従の関係
2024年8月19日
伊達政宗公は、千利休の千貫目で買った茶碗を眺めていたときに、手元が狂って落としそうになった。政宗は、あわてた。
千貫目の茶碗を割ってしまったら、千石を海に捨てるようなものだ。
「ああ、落とさなくて良かった」そう思った瞬間、政宗は、自分の心のいやらしさに気づいた。
百戦百勝してきた武将が、茶碗一つに振り回されている。
それも欲ぼけして、千貫目だから大切にしなくては・・・などと、とらわれている。
「この政宗ともあろうものが、こんな茶碗一つに振り回されるとは、恥ずべきことだ。見下げた根性だ。この茶碗め!」
名物茶碗をにらみつけるが早いか、右手に握りしめて、高くかかげ、驚いてあわてふためく小姓たちの見ている前で、庭の敷石に「バシッ」と叩きつけたのである。
何か、講談の一節を聴いているような場面でありますが、物の所有に執着すると、いつのまにか物の方が「主」になってしまい、所有者である自分が「従」の立場になってしまうと言います。
私の好きな番組に「なんでも鑑定団」がありますが、伊達政宗公の逸話と照らし合わせると、何となく面白い視点で見ることができます。