ぼくのむねの中に
2025年2月17日
《「おかあさん、おかあさん」ぼくがいくらよんでもへんじをしてくれないのです。あのやさしいおかあさんは、もうぼくのそばにはいないのです。
きょねんの12月8日に、かまくらのびょういんで、ながいびょうきでなくなったのです。
いまぼくは、たのしみにしていたしょうがく1ねんせいになり、まい日げんきにがっこうにかよっています。
あたらしいようふく、ぼうし、ランドセル、くつで、りっぱな1ねんせいをおかあさんにみせたいとおもいます。
ぼくはあかんぼうのとき、おとうさんをなくしたので、きょうだいもなく、おかあさんとふたりきりでした。
そのおかあさんまでが、ぼくだけひとりおいて、おとうさんのいるおはかへいってしまったのです。
いまは、おじさんおばさんのうちにいます。
まい日がっこうへいくまえに、おかあさんのいるぶつだんにむかって、「いってまいります」をするので、おかあさんがすぐそばにいるようなきがします。
べんきょうをよくしておりこうになり、おとうさんおかあさんによろこんでもらえるようなよいこになります。
でも、がっこうでせんせいが、おとうさんおかあさんのおはなしをなさると、ぼくはさびしくってたまりません。
でも、ぼくにもおかあさんはあります。いつもぼくのむねの中にいて、ぼくのことをみています。
ぼくのだいすきなおかあさんは、おとなりのミイぼうちゃんやヨッちゃんのおかあさんより、いちばんいちばんよいおかあさんだとおもいます。
おかあさん、ぼくはりっぱなひとになりますから、いつまでもいつまでも、ぼくのむねの中からどこへもいかずにみていてください》
4月になると、ピッカピカの新一年生がランドセルを背負って通学します。
朝、役場へ通勤する際、その姿を車中から見るだけで幸せな気分になります。
そして、定番のホームドラマのように、優しい両親に見送られて通学していると勝手に思いこんで見ておりましたが、このような境遇の一年生もいるんだと改めて考えさせられました。