史跡上之国館跡 花沢館跡(国指定史跡)

 15世紀頃、渡党(わたりとう)と称する本州系の人々が、北海道南部への進出拠点として築いたとされる道南12館の一つです。
 この頃の渡島半島は、津軽の安藤氏の支配下にあり、「下之国」(北斗市(旧上磯町)を中心とした地域)、「松前」(松前町を中心とした地域)、「上之国」(上ノ国町を中心とした地域)にそれぞれ守護が置かれていました。
 本道最古の記録である「新羅之記録」(しんらのきろく)には、花沢館の館主蠣崎季繁(かきざきすえしげ)が長禄元年(1457)のコシャマインの戦いの際に堅く守ったと書かれています。
 館本体は、国道に面しており、その規模は南北に長さ200m、最大幅80m程あり、館直下から頂上部までは約50mの比高差があります。大きくみると、その構造は南から北へ大小6段の平坦部に分かれています。
 昭和20年頃頂上部から約2,000枚の銭が、平成2年には館後方部から珠洲(すず)焼の擂鉢が採集されていました。近年、館後方の空壕、頂上、その他平坦部などの部分的な発掘調査が行われました。その結果、館後方から幅11m、深さ3.9mの大きな堀が確認され、頂上からは、溝や柱穴、15世紀代の珠洲焼の擂鉢や中国製の青磁や白磁、銭、釘や鋸などの鉄製品が発見されました。また他の平坦部からも溝、柵跡が発見されています。陶磁器の年代から見ると、すべて15世紀代のもので16世紀代に勝山館跡が本格的に機能し始める前に既に廃城になっていたことがわかりました。
 松前藩の記録である「福山秘府」(ふくやまひふ)には、寛正3年(1462)の夏、蠣崎季繁が没したと書かれており、年代的には文献とほぼ照合する結果となりました。
 今後、更に本格的な発掘調査を行い、館の全容やその構造を明らかにする必要があります。


面積  約29,000平方メートル
昭和52年4月12日 文部省指定
平成18年3月31日 史跡の統合、追加、改称 文部科学省指定




▽上ノ国町文化財マップ①(PDF:905KB)


▽上ノ国町文化財マップ②(PDF:610KB)


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