本当は与えられていた
2024年5月20日
新型コロナもようやく衰退の兆しが見えてきておりますが、コロナ禍、国は国民に様々な支援金を交付いたしました。それによってある程度国民の生活は守られましたが、弊害も残りました。
何かあったとき他に依存して不平不満ばかり並べて嘆く「くれない族」が増えているような気がしてなりません。
かつては、「損のできる人間」に育てることが教育の一つの目標であったが、「あの人は何々してもらっているのに、私はしてもらえなかった」とか、「自分だけが損をした」と自分の権利ばかりを主張する戦後の教育思想が、今日の貧困な精神の日本人をつくってしまったと主張する識者もおります。
しかし、よくよく振り返って考えると、人間は平等に与えられていたのかも知れません。
「大きなことを成し遂げるために
力を与えて欲しいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことをできるようにと、健康を求めたのに
より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに
得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに
むしろ人生を味わうようにと
シンプルな生活を与えられた。
求めたものは何一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられていた。
私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ」