大聖堂を造っている
2024年10月2日
イソップ寓話旅人が町を歩いていると、汗を流しながら重たいレンガを運んでは積み、運んでは積みを繰り返している3人のレンガ職人に出会いました。
そこで旅人は、「何をしているのですか?」と尋ねました。
すると、その3人のレンガ職人は次のように答えました。
1人目は
「そんなこと見ればわかるだろう。親方の命令でレンガを積んでいるんだよ。暑くて大変だからもういい加減こりごりだよ」と答えました。
2人目は
「レンガを積んで壁を作っているんだよ。この仕事は大変だけど、金が良いからやっているんだよ」
3人目は
「レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っているんだ。こんな仕事に就けてとても光栄だよ」
3人のレンガ職人は、それぞれ「レンガを積んでいる」という仕事は同じです。
仕事の内容や役割もほとんど同じのなので、賃金もほとんど変わりません。
しかし全く動機が違います。
働く意識、目的意識が全く違うのです。
その捉え方によって
親方から言われたから「面倒くさいなあ」とやる仕事と、大聖堂を造るぞという使命感を持つことにより、「生きがいだなあ」という感情を持つことができるのです。
役場には、様々な業務があります。
たとえば、産業課や福祉課の職員は、この業務をこなしたら誰々さんが喜ぶだろうと町民の顔を思い浮かべることができるので、ある意味仕事の意義や達成感を持つことができます。
ところが税務課を例にとりますと、税務課職員が税金を徴収する際、相手から不平を言われたとしても喜ばれることはめったにありません。
同じ役場の業務なのに、こんなにも違いがあります。
当然、役場職員は、どんな業務も町をつくるためには必要不可欠で、税務課の職員が税金を徴収しないことには、町の予算をつくることも不可能であるとは理解しております。
そのため税務課職員には、町の予算は税務課が担っているんだという気概を持って欲しいと期待しております。
究極、この物語のように、全職員が大聖堂を造っているんだと自覚させたいと願っておりますが、正直、至難の業であります。