職員に“惻隠の情”を見た
2025年2月10日
本町では、毎月、課長職以上の打ち合わせを定期的に開催しておりますが、あるときから、各課長から職員を賞賛するエピソードを紹介することとしました。以前、WEB町長室の中で「美点凝視」の必要性を載せましたが、それを実践するものであります。
試行錯誤もありますが、「美点凝視」の実践により会議の雰囲気が温かくなったように感じておりますので、そのエピソードの一つをご紹介します。
『1月下旬の冷え込んだ朝、就業時間より早めに出勤してきたその職員は、玄関前で待っている親子に気づき、寒いからということで施錠している玄関を解錠し庁舎内に招き入れました。
そのあと、一応用件を伺い、就業時間の8時30分まで待っていただくよう説明したそうです。
ところが、当時、玄関前で待つ親子については、その職員のほかにも早く出勤していた何人かの職員も気づいていたそうです。
しかし、通常の解錠時間は8時となっているので、時間前に庁舎内に入れようとは思わなかったそうです。』
ここで、時間前なのでということで、解錠してまで庁舎内に入れようとしなかった職員は何を考えていたのか考えてみました。
大きな理由として、解錠しなかった職員は、解錠時間は守らなければならないという発想があったと思います。
もし、今ここで解錠したら、今後、時間前に玄関に誰かいたとしたら同じ行動を取らなければならなくなるからです。
逆に、解錠した職員はどうかというと、何も考えることもなく、ただ、その親子が大変だということで躊躇なく行動したと思います。
中国古典である「孟子」のなかに“惻隠の情”というが一説があります。
例を挙げて、「井戸に小さな子どもが落ちようとすれば、誰でも利益と関係なく助けたいと思い、助けようとするであろう」と述べています。
まさに、解錠した職員は、“惻隠の情”を体現したものと思われます。