人間としての肥料は?
2006年8月9日
町長室に置いてある、鉢植えの木の葉っぱが枯れてきました。毎日、水をやっているのにと不思議に思いましたが、考えてみると肥料をやっておりませんでした。
我ながら、恥ずかしいくらい単純なことであります。
山に対する思い入れも人一倍強く、森林組合長まで歴任されたある町民が、「木というものは、だまっていても大きくなるからいいもんだ。」と話しておりましたが、私はそのことが記憶に残っておりました。
そのため、木というものは水だけやればいいものかと安心しておりましたが、考えてみますと、自然界の木は秋になると枯れ葉が根元に落ちます。
そして、その落ち葉が腐植して肥料となりその栄養分で木が成長するわけであります。
しかし、町長室に置いてある木は栄養分を全く与えておりませんから、枯れてくるのは当たり前の話であります。
ふと考えてみました。
このことは、私たちにもあてはまるのではないかと。
私たちは、普段、食事と運動で身体を維持しております。
しかし、人間として成長するための肥料をとっているでしょうか?
人の話を聞き、ものを見て感銘を受けることが週に何回あるだろうか?
日頃から本を見たりテレビを見て、知識を得るように努力しているだろうか?
自分のためばかりでなく、人のためにも汗を流しているだろうか等々・・・。
思いつくままに羅列しましたが、人間としての肥料は沢山あります。
ただし木と違うのは、人間にとっての肥料は、どれも自分から取りに行かなければならないものばかりであります。
人間として成長していくためにもより多くの肥料をとりたいものであります。
ただ生きているだけの人生にならないように。