お金の価値
2006年4月11日
国の予算折衝で、財務省の査定官が指一本立てると1億円のことだそうです。上ノ国町の予算査定では、高見総務課長が指一本立てると千円でしょうか?
お金の価値観は、持つ人によって違うといいますが、市町村によっても違う時代に突入いたしました。
桧山管内でも、裕福な町は億単位の仕事をするかどうか迷っていますが、本町のように台所事情が苦しい町は、万単位の仕事を中止するかどうか迷います。財政が厳しいと惨めなこともありますが、大きな効果もありました。職員が、お金の大切さを肌で感じてきたことです。
今は、地面に1円落ちていても拾わない時代だそうですが、お互い、1円の大切さを認識するようになりました。不要な明かりを、積極的に消灯する。従来、他官庁からの書類の保存年限が過ぎ廃棄処分していたものを、廃棄しないで裏側を使用する等々であります。
いずれも何円単位の話でありますが、まさに「ちりも積もれば山となる」であります。
あとは、辛抱したお金を「生き金」「死に金」にするかは、これからの行政推進にかかっております。
ある有名な、銀座のママさんの話だそうです。
銀座では毎年、毎日、突然大金を掴み、格好良くお金をばらまく人が現れるといいます。そういう人が現れたとき、先が長くないとわかっているから、皆、総出でその人をおだて上げ、お金をたくさん置いていってもらうそうです。その人たちは長くて3年、大体半年を経ずして泡のごとく消え去る。毎回、世をにぎわす人が現れ、荒く稼いだ金を荒く使って消えてゆく。それに乗ると、ママさんたちも荒い金遣いのクセが残って、後がたいへんだという話であります。
まさしく、荒い稼ぎをすると荒い人生になり、荒い金遣いをして荒い死に方をするそうです。
「博打で稼いだお金は残らない」というのと同じで、「生き金」「死に金」の違いなのでしょうか。