三味線の名取り誕生
2003年1月23日
町内の山下敏雄さんが、津軽三味線の名取りを襲名し、雅号は「山下俊脩(しゅんしゅう)」と名付けられました。山下敏雄さんは、29ヘクタールの田んぼと、20ヘクタールの畑を作付けしている、町内でも一番大きな農家であり、上ノ国の農業を担う数少ない農業後継者です。
普通、これだけの田畑を作付けしていれば、忙しくて三味線どころでないと思われます。
山下さんは襲名の謝辞で、三味線歴は17年と長いが、農繁期にはあまり時間を割けないために、刈り取りが終わったあとに集中して三味線の稽古をしていたと語っておりました。
今、世の中は不景気で、集まるとため息ばかりついているような毎日ですが、本業である農業は誰にも負けないで、そして、生き甲斐づくりにもがんばる山下さんに、生涯学習の神髄を見せていただいた気がします。
職員時代、生涯学習を推進していたとき必ず言われるのが、「生活するのに精一杯で、そんな遊びをやる暇がないよ」とよく言われたものでした。
そもそも、生涯学習とは読んで字のごとく、生きがい学習です。
山下さんにとって三味線は、農業の合間の息抜きでなく、農業を続けるための大きなエネルギーであったのかと思います。
私は、この厳しい難局に立ち向かおうとしているとき、山下敏雄さんのようなエネルギッシュな人が上ノ国町民であることに誇りを持っています。