高橋知事の決断に思う。
2011年8月18日
高橋知事が、泊3号機営業運転再開容認を決断しましたが、
苦渋の決断であったと推察いたします。
結果的に、
容認しても、反対しても、
世論の風に晒されることは間違いありません。
ただし、世論は何事に対しても責任を持ちません。
道新の記事によりますと、
北海道議会のコメントは「拙速過ぎる」「もう少し時間をかけて
議論をしてもよい」「知事は住民の意見を聞いていない」等々、
私から言わせるとどれも逃げのコメントであります。
本来、議員は道民の意見を代弁するはずなのに、
議員としての独自判断を示せないということは、
責任逃れか、
若しくは道民の意見を把握していないととられても弁解の余地
がないものと思われます。
また、「知事は住民の意見を聞くべきだ」という声もありますが、
意見を聞いたときに一人でも反対者がいたら容認すべきでない
という理論になるのかどうか、その点が不思議でなりません。
行政は、最大公約数的な思想で行なわざるを得ませんが、
決断というものは、
どれほど逡巡しても「イエス」か「ノー」よりないわけであります。
そして、
トップというものは孤独なものだとつくづく感じた次第であります。