今求めたい“潔さ”
2012年1月13日
昨今、日本人本来の“潔さ”がなくなってきたように感じられます。特に、国会議員の討論会等を見ているとそれが顕著に表れています。
政治資金規正法で強制起訴された小沢議員が、4億円という巨額
な資金でありながら、「記憶にない」などと答えたというニュース
を見るたびに、正直、腹立たしくなってきます。
その“潔さ”。
シドニーオリンピックの柔道決勝戦で、誰が見ても勝った思える
試合を、誤審で負けたともいえる篠原選手に見ることができます。
その篠原選手を、当時の山下監督は次のように述懐しています。
篠原選手は、誤審ではないかと監督が抗議した際に、
「あれは自分が弱かったから負けた」
「審判に不満はない」
という発言をしました。
続けて彼は、次のようなことを発言しております。
「たとえあれが自分の一本ではなくて相手の有効になったとし
ても、本当に自分に力があったら、残り時間は十分にあった
し、あの後で勝てたはずだ」
「本当の力が自分になかったから、それを取り戻せなかっただ
けで、そういう意味で自分に絶対的な強さがなかった」と。
「それから『審判に不満はない』というのは、審判が間違えるよ
うな、そんな試合をした自分に責任がある。
つまり、だれが見ても納得するような柔道をしなければいけ
なかったんだ」ということです。
“潔さ”とは、過去を水に流して前向きになるということですが、
まさに、うらやむくらいの“潔さ”であります。