心眼
2023年6月26日
町長という立場になって久しいことが原因なのか、妻から、「慢心に陥っている」という手厳しい指摘を受けることがあります。自分としては、謙虚に振る舞っているつもりではありますが・・・。
ある人は、自分がここまで生きてきたのは自分一人だけではなく、沢山の見えない人達の手助けがあった。
それに気づくには、心の目である『心眼』が必要であったとも言っています。
「見る」「看る」「観る」どの字も相手を見ることであるが、どんな雑踏の中にいても、風の囁き、雲の流れを肌で感じることができる『心眼』を持ち合わせることを理想としています。
俺が俺がの「が」を捨てて、お陰お陰の「げ」で生きる。
こういう心境で人生を送りたいと願っています。